どうして運動するのか?
よくする会は1972年(昭和47年)、保育に関する様々な悩みに
ついて話し合い、勉強し、運動していくことで願いや要求を実現
していこうと、市民の手で作られました。「運動する」とはどう
いうことでしょうか。なぜ運動しなければならないのでしょうか。
今でこそ川越の保育条件もずいぶんと整ってきていますが、よ
くする会が創立された頃はまだまだ保育園の整備もままならない
状況でした。毎年のように新園が設置され、当然、保育の質がそ
れに追いつくわけもありません。そんな状況の中で保護者・保育
者の切実な願いを実現するひとつの方法が保育運動だったという
わけです。市民の力を背景に市当局と話し合いを行い、少しずつ
保育条件を整えてきました。また、同じ予算であっても運動で現
場の声を届けることで、より現実にそぐう条件整備がなされるこ
とになったと考えます。
そんな運動を通じて、川越では保育に関わることに関しては、市民と行政が話し合いの機会を持つという慣例が形作られました。
例えば毎年の保育料の改訂に関しても、よくする会が「保育料審議委員会」のメンバーとして参加して意見を述べました。
運動をしたからといって、必ずしも要求が通るとは限りません。むしろ市の財政の厳しい今日では、ほとんどの要求は実現しない
といっても過言ではないかもしれません。
しかし、運動の中で、会員みんなが問題を考える機会もち、あるいは悩みを共有し、それを市当局に伝える中で市当局とも問題意
識を共有するということは、単純に要求を通すこと以上に価値のあることと考えます。そして、今日のように保育条件の整備が進ん
できているといっても、社会は日々刻々と変化し、保育をめぐる状況も変化を続ける中で、運動が必要なくなるということはないの
です。
ですからよくする会は、常に現実を見据えつつ、「今」必要なこと、「将来に向けて」必要なことについて運動を続けていきたい
と考えています。

よくする会のスタンス
よくする会のこれまでの活動に関しては他ページで縷々述べてきたところです。そのエッセンスをかいつまんで並べてみますと、
①保育・子育てに関する会員の要求を取り上げ、市に対して要請していく
②会員の中でのコミュニケーションを活発にしていく
③保育・子育てやそれに隣接する分野に関して会員とともに学んでいく
④よくする会の活動や保育・子育てに関して大切なことを市民の皆さんに伝えていく
といったところでしょうか。これらはすべて、会員から吸い上げ、会員に訴え、あるいは会員と議論し、という形で常に会員とともになしていくべきことです。
そして今後より大切となってくるのは、
⑤市に対して政策提案し、あるいは市政に参画していく
という姿勢であると考えています。すなわち、保育に関係している団体だからといって保育に関してのみ要求していくというとではなく、市政のなかでの保育・子育て施策のあり方を、保育に関係する団体だからこそできる形で発信し、市民のみなさんの理解を得ながら具体化する努力をしていくということです。
保育や子育ては、「人」を育てることであり、「未来の街」を創造することであり、市が力を注ぐに十分価値のある事業です。それを市民みんなが十分に理解し、納得して施策化することがまた、川越をより成熟した街にしていくものと考えます。
子育て施策の意義

ふとした折に「子育て施策ばかりにお金を使うべきではない」という意見を耳にします。直近では「子ども手当」創設の時がそうでした。「子どもがいない人からも税金をとって子どもがいる家庭にだけ給付するのはおかしい」のごとくです。一見するともっともなように思えます。果たしてそうでしょうか。
人間社会が仮に永続するとするなら、それは次世代の人間たちが次々と育ってこそです。今、目の前にいる子どもたちが数年後には成人し、職につき、納税し、選挙権を得、社会を作っていくのです。万が一、その連鎖が途絶えたとすると、社会から働き手がいなくなり、社会は老いていくのみとなります。極端な話ですが、老人はいるのだけれど、介護をする人がいない、医者がいない、看護師がいない、タクシー運転手がいない、スーパーの店員 がいない、ということになると、そんな社会が社会として成り立ちうるでしょうか。
すなわち、子育て施策というのは、子どもやその親のみを支援するものではありません。直接的に恩恵を受けるのは子どもや親たちかもしれませんが、それを通じて社会を成り立たせていくための施策でもあるのです。「未来のまちづくり」という言い方もできるかもしれません。
「こどもなんて、放っておいても育つよ」そんな声も聞こえます。そして究極的にはそうなのかもしれません。しかし、社会のあり方もどんどん変わり続けています。核家族化の進行は子育ての知恵の継承を難しくし、子育ての直接的なサポートをしづらくしています。地域の崩壊により子どもを地域全体で育てるようなあり方が成り立ち得なくなりました。長引く不況あるいは産業構造の変化は世帯年収を減少させ、子育てにまでお金が回らない、将来が不安でたくさん子どもを産めない、といった状況を生み出しています。
国や地方公共団体が子育て施策を持ち、予算を使うということは子育てを社会全体で支えることです。そしてその恩恵は巡り巡って社会に還元されるということでもあります。
保育をよくする会の構成に関して
よくする会は保護者会の連合体ではなく、市民の任意団体という形態をとっています。つまり川越の保育をよくしたいと願う市民なら誰でも加入できるということです。ただ事実上は、公立保育園の保護者が保護者会を通じて加入し、同時に保育士が任意で加入する形で、公立保育園の保護者と保育者からなる団体となっています。
このような形態であることから、保護者には保育士への遠慮が、保育士には保護者への遠慮があって、十分に意見を述べることができなちという声も聞かれることがあります。
ですが、保育の中身を決めていくのは保護者と保育者なのです。保護者は子どもへの願いから、あるいは安心して仕事をしたいという思いから要求し、保育者は保育の専門家として、そしてまた一人の労働者として要求を持っています。その双方が、子どもを仲立ちとして手を取り合うことで保育の内容がよくなっていくものと考えます。
もちろん、双方の要求が相反することもあるでしょう。あるいは保護者の中でも、保育者の中でも意見が分かれることもあると思います。それは結局、話し合いの中で、現時点での折り合いを付ける他ないのです。どちらかが居ないところで強い要求をして無理やり押し付けても、必ずしもいい解決とはなりません。
ですから、よくする会がこのような構成をとっているということを生かしていく方向で、これからも活動していきたいと考えています。