公立保育園設置のあゆみ
1922(大正11)年 川越町立託児所→のちに中央保育園に改組・改名(1960年)
1950(昭和25)年 第2保育所→菅原町保育園に改名(1969年)
→日照権問題で移転し仙波町保育園(1986年)
1952(昭和27)年 第3保育所(志多町)→新築移転し神明町保育園(1978年)
1957(昭和32)年 第4保育所(小ケ谷)→小ケ谷保育園に改名(1969年)
→移転して小室保育園?
1964(昭和39)年 第5保育所(笠幡)→霞ヶ関保育園に改名(1969年)
1967(昭和42)年 第6保育所(上戸)→名細保育園に改名(1969年)
1968(昭和43)年 第7保育所(豊田本)→大東保育園に改名(1969年)
1969(昭和44)年 古谷保育園
1969(昭和44)年 法人立武蔵野保育園(1950年設立)の運営を市に移管 脇田新町保育園
1971(昭和46)年 月吉町保育園→移転して今成保育園?
1971(昭和46)年 高階保育園
1972(昭和47)年 川越保育をよくする会 第一回総会
1973(昭和48)年 私立山鳩保育園(1958年設立)の運営を市に移管 新宿町保育園
1974(昭和49)年 霞ヶ関第2保育園
1974(昭和49)年 南古谷保育園
1976(昭和51)年 名細第2保育園
1977(昭和52)年 高階第2保育園
1978(昭和53)年 高階第3保育園
1981(昭和56)年 南古谷第2保育園
1983(昭和58)年 古谷第2保育園
1985(昭和60)年 川鶴保育園
※詳細は記述しませんが、多くの園が改築や定員増加を繰り返して現在に至っています。
待機児童の解消には様々な手段が考えられます。既存の保育園の定員増、認可保育園の設置、小規模保育施設や無認可施設の設置を各事業者に促す、保育ママ制度を導入して事業者を募集、など。
各施設、制度の良しあしは一概には言えませんが、法律的には保育士の人数や必要面積、給食室の存在など様々な面で最も子どもに手厚いのが「認可保育園」(国の定める基準を満たして認可を取得した保育施設)であるといえます。
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見守るってどうすれば?
様々な場面があると思います。子どもたちが道路を歩いていたり公園で遊んだりしているのをそれとなく気にかける、時として声をかけることもありでしょう。
保育施設の周囲や園外保育の時でもいくつかポイントがあります。保育士さんはプロですから、素人目には危なかしく見えても、それとなく、でもしっかり子どもを把握しているものです。それでも、予測を超えた突発的な事態はあり得るし、突然、地震やゲリラ豪雨など災害にみまわれることもあるでしょう。
また、大変残念なことですが、保育施設の中には人手不足を補うために子どもたちを拘束したりビデオ漬けにして十分なケアを行わないところもあります。そしてあまり報道はされませんが、1年間で何件も、死亡事故や重篤な事故が発生しているのも事実です。地域の皆さんのちょっとした気づきが子どもたちを救うことになるかもしれません。
なんにしても、子どもや子育てに関して暖かいまなざしを向けること、暖かいムードを作ること、その中から人間的な関係を作りだしていけるとうれしく思います。